レクリエーショナルダイビングで潜ることのできる人工魚礁の調査を目的としたグループです。
以下は企画書です。
レクリエーションダイビングエリアにある人工魚礁の定点継続撮影調査
特定非営利活動団体
日本水中科学協会
人工魚礁は、1950年代より沿岸漁業漁場整備の目的で営々と全国に設置されてきた。
これら人工魚礁は、当然、食べる魚を穫る、或いは増やすために設置されているのだが、魚礁を増やすことに反比例するように、魚礁に付くような魚の漁獲は減っていった。漁業者の高齢化、消費者の魚離れ、国際的な魚の流通、様々な要因があるが、魚の数の変動もあるかもしれない。人工魚礁に当てた字は 漁礁ではなく魚礁である。その意味は、漁がなくても、魚のためになるような礁とされている。目標が魚であるとすれば 漁が無くても魚の状況を調べる要がある。
漁業とレクリエーションの関係、関わり方は、漁業にとってもレクリエーションにとっても大きなテーマである。職漁よりも、遊漁が盛んになってきていて、人工魚礁も釣り、遊漁のポイントになってくる。自分たちのレクリエーショナルダイビングにとっても、小規模沿岸漁業とのかかわりが、重要で、そしてそれは、180度 一変した。阻害される関係から、協力する関係へ変わった。
レクリエーションと漁業のかかわり合いの上で、人工魚礁についても考えて行くことになる。
人工魚礁調査について
これまで、人工魚礁調査は、漁獲調査が主であった。漁獲が多ければ、それだけ評価も高い。漁獲は漁獲努力に比例する。漁獲努力は、人的な要素に支配されるので不安定であり、それだけでは魚礁効果を判定できない。直接的に魚の数、種類、大きさを計測する。
計測は、調査会社の場合、ダイバーによる直接的な目視(撮影)魚群探知機(ソナー)による測定、自走式カメラ(ROV)による撮影 によって行われる。なお、筆者の会社(スガ・マリンメカニック)は長年、人工魚礁の調査を業としていた。
そして、漁獲が無くなってしまうと、実験的な調査以外は、行われなくなってしまう。
日本水中科学協会の調査
目的
ダイビングエリア内の魚礁(※人工魚礁調査のフォーマットで、近くの天然礁もしらべる。)人工魚礁を計測調査する。もしもこのような調査が、全国のダイビングエリアで行われるとすれば、そしてその情報が、集結されるならば、日本の海にとって大きな効用がある。漁の有無にかかわらず、自然な状況での魚介類の変動を知っておくことは重要である。研究者のデータにもなるし、漁獲努力がほとんど無くなった海、人工魚礁の効果、価値を測定しておくことも意味がある。
目標
目的を達成するための調査手法のスタンダードを作る。
それは、定点継続撮影調査 である。
1. 定点継続撮影調査について
①同じ場所、同じ位置を定期的に、あるいは不定期でも継続的に観察撮影して、長期間の記録を残すことを定点継続撮影と定義する。
②定点継続撮影調査こそが、一般ダイバーが海を調査観察記録するもっとも良い手段であるとともに、撮影調査の王道である。
その方式(フォーマット)を確立したい。
2..定点継続撮影フオーマット
※これまでの事例を研究しつつ、実際の調査を行い。調査方法を研究して、ワークショップで発表し、検討して、再度 試行する。PDCAサイクルで研究してシンポジュウムで発表しフォーマットを組み立てて行く。
①一般、普通のダイバーが楽しみながら、ストレスなく継続できるものでなければならない。
②観察記録には、定性(種類)定量(量:尾数)がある。それぞれ、撮影結果から読み出せるようにする。
③撮影記録は、客観的な証明記録になり得る方式とする。
※具体的には
たとえば、定まった、四畳半四方をくまなく定まった時間、たとえば20分とか観察記録撮影する。定点にカメラを設置する方法もある。
また、定まったラインを定まった角度から移動撮影する。
人工魚礁は、定点撮影、ライン撮影に適した対象である。
☆★☆ ここまでが企画書 以下は説明的な記述である。
人工魚礁について
1.人工魚礁とは?
魚の集まるところ、魚の居るところを「魚礁」と定義する。
大きなものとしては、神子元島、銭洲、ソーフ岩、西表の中の神島、トンバラなど。水面に頭を出していないものを堆、曽根などと呼び、大きなものでは大和堆、武蔵堆、など、
小さなものでは、ダイビングポイントは、たいていの場合魚礁である。例えば、伊豆海洋公園では、一番の根、二番の根など。
このような魚礁を人工的に作ったものが人工魚礁である。
人工魚礁とよび、人工漁礁としないわけは、必ずしも漁を目的としない、魚を増やすために、魚の居場所を作る、産卵の場をつくる、という意味も込めて、魚礁としている。
人工魚礁は、国の事業として設置が行われたために、水産業界では、一定の規格を作っており、その規格に合致したものを人工魚礁と呼ぶ。(1954年以来)
曾て、バスの廃車したものなどを投入して人工魚礁としたこともあったが、廃車の捨て場になってしまうので、現在では、これは投棄物である。ダイビングエリアでは、投棄物を魚礁としているばあいもある。
沈船は古くから魚礁として使われていて、現在も続いている。
人工魚礁の歴史(沿革)
江戸時代の石積みなどが人工魚礁の祖型であるといわれている。
沈没船に魚が集まることから、昭和の初期、不要になった軍艦などを沈めて魚礁にしたり、不要になった路面電車や、バスが沈められた。
磯を作る、主として海藻をはやすために投石などが行われて、これを築磯と呼んだ。広義の魚礁であり、魚も集まるので、人工魚礁よりもむしろ投石が良いとした地方もあった。
1932年ごろ、コンクリートブロックの魚礁が試験的に製作された。
第二次大戦が終了して、日本がまず抱えた最大のテーマは食料確保、増産であった。
沿岸漁業、魚の増産もその一つであり、魚を積極的に増やす手段としては、まず養殖、種苗生産と放流が考えられるが、その多くについてまだ未開発であり、急場には間に合わない。魚介類を増やすための、すぐできる直接的な手段としては、魚礁しか考えられない。
沿岸漁場を整備開発する法律ができ、積極的に魚礁の投入が行われはじめたのは、1956年頃からであった。
1960年代の中頃からこの動きは加速され、人工魚礁事業は水産の沿岸漁場にたいする大きな要の一つになった。投石の一個でも魚を集める効果はあるが、当然、魚礁が大きい方が効果も大きい。コンクリートブロックの大きさも、0. 8m角から、1. 5m角、2m角と成長し、魚礁製作メーカーも次々とでき、大きなジャンボ魚礁、マンモス魚礁と呼ばれるものも出現した。
1990年代、魚礁の効果は水深が深いところで大きいと、深いところに大きな魚礁を設置したいと考えられた。水深が深くなれば、相対的に高さも高くなければ効果が薄い。コストを低く高さを高くするには、鋼鉄製が良い。水深70m以上に設置する魚礁は30m以上のタワー、高層魚礁が生まれた。
全国津々浦々の漁協の地先には、コンクリートの魚礁の山が築かれ、沖には鋼製のタワーがおかれた。
2000年代に入ると魚礁はさらに大型化して、高層魚礁の群を作る、或いは、コンクリート礁を山と積み上げるマウンド礁が作られはじめた。小さな堆を作ってしまうわけだ。
魚礁の目標は、前述したように、魚を集めて穫る副漁具としての働きと、魚を増やす増殖礁がある。
増殖礁としては、魚では無いが、ヤリイカの産卵する岩陰のような場所を作るヤリイカ産卵礁がある。
副漁具の典型的なものとしては、浮魚礁がある。沖縄ではパヤオと呼ばれていて、沖縄での舟釣りはほとんどこのパヤオに寄っている。
まとめ
前述したように、人工魚礁は継続調査する定点としてわかりやすい。また、国が国民の税金を使って設置したものであるから、国民の財産として、その現状が認知されていることが望ましい。日本の海の状況を、人工魚礁ウオッチで、継続的に観測したい。