日本水中科学協会Japanese Academy of Underwater Sciences

2010年5月22日のブログ 水中科学協会ができるまで

代表理事 須賀次郎
この一年、全日本潜水連盟の理事長を辞してから、計画を立てていた特定非営利活動法人日本水中科学協会が、ようやくスタートする。特定非営利活動法人認証手続きを行うために、一緒に活動してくれる理事を集めて、手続き上の創立総会を開いたのは、去年、21年の8月11日だった。
 本当に何も無いところからのスタートだった。
 最初のコンセプトは、研究者の死亡事故から始まった。その事故の報告書では、今の日本にはレジャーダイビングの講習しかなく、それも、楽しく安全であるという宣伝が先行していて、油断ムードに満ちている。その報告書では、「正常化の偏見」という言葉を使っていたが、ようするに「ダイビングは安全で誰でもできるものだから、たいしたトレーニングをせずに、責任体制も確立しないでも大丈夫安全」と世間では考えているので、大学も研究所も安心して同調している。それが事故の原因だと述べている。だれかが犯罪を犯して、それは社会のせいだといっているのににているが、半面正鵠を得ている。
 報告書には、大学をあげて、他の大学にも声をかけて、責任体制を確立するよう努力するようなことが書かれていたが、その動きはなかなか見えてこない。自分もリサーチダイビングを業としてきたし、その意味で研究者のはしくれかもしれない。自分たちで、責任体制をつくろうと思い立った。
 まず、1957年からのスクーバダイビングの畏友であり、一緒に頑張ってきた後藤道夫にそうだんした。「もう、レジャーとかそういうのは相手にするのはやめようよ。スクーバを使って何ができるのか、そういう仕事をしようよ。」
 後藤道夫らと、1967年に創立した日本潜水会は、潜水指導団体の元祖ともいえるもので、実は、この日本潜水会が、潜水指導者の集まり、というスタイルを創始してしまったことになる。日本潜水会は、やがて指導業務を全日本潜水連盟に移行させたが、仲の良い集まりだったから、その後も二十数年間にわたって、同窓会的な親睦会を続けて来た。日本潜水会を復活させることが、まず第一の思いつきだった。日本潜水会でやろう。親睦の仲間にも声をかけた。
 あるていど形が出来かけたときに、また後藤道夫に言われた。「もう過去の遺物を引っ張り出して来るのはやめよう。新しい人を集めて、新しい組織を作らなければだめだ。日本潜水会のメンバーは応援すれば良い。」ぼくは、1967年創立という歴史にこだわりたくて、「日本潜水会 V」という名称も考えたが、最終的には、日本水中科学協会になった。日本を頭に着けたのは、諸外国のおなじような発想の団体とのおつき合いを考えたからであった。僕たちは世界を目指しはしない。日本でこじんまりした団体になれば良い。参加するみんなが楽しくなければ、団体は仲間割れ抗争の場になってしまう。喜んで参加してくれるならば、別にインストラクターでなくても良い。インストラクターになりたければやがてなれば良いし、この協会で理事の方に向かって石を投げれば、インストラクタートレーナーに当たる。大人で気持ちの良いつきあいができれば、そしてダイビングに熱い心を少しばかりもっていれば、それで一緒にやれる。
 そんな視点で見ると、まわりには、レクリエーションダイビングではあるのだが、スクーバダイビングを自分で自分の安全を考え、自分の意志で判断して、自律してスクーバ活動をしたいという気持ちの人が沢山いることに気づいた。そんな人たちをまとめる団体がない。そして、どのようにすれば、安全に責任体制を作れば良いのかわからないでいる。
 スクーバダイビング界には、講習のための基準はあるのだけれど、活動の基準がない。事故が起これば、活動基準がないから、何もわからない裁判官が、世間の常識、自動車事故とおなじような感覚で責任の軽重を判断する。自動車事故では加害者と被害者がはっきりしやすいが、自己責任が基本であるスクーバダイビングで、事故で亡くなった人が被害者であり、責任をもって引率していた人が加害者という図式を当てはめてもらったら、だれも責任者が居なくなる。現状はそのようなことになっていて、それがダイビング界逼塞の要因の一つにもなっている。何か事故が起こったら訴えられて、破滅する。
 活動の基準を作り、もしも基準を責任者が遵守しているのにもかかわらず、多分、個人的な障害、もしくは個人的事情で事故が起こった時、基準を盾にして、責任者を護らなければならない。そのためにも協会という組織が必要だと思うにいたった。
 まず、第一歩がその基準作りから始めよう。基準とマニュアルを書いているうちに、基準とマニュアルは人を縛るものではなくて、みんなで安全を考えるための道具だと思いついた。基準に沿って考えたり行動したりした結果を持ち寄って、みんなで検討する。ダイビングの安全を考えるということは、そういうことなのではないかと思った。
 ダイビング活動も多様化しているし、人それぞれも多様である。ダイビングの海域も千差万別である。まず、基準とは守らなければいけないルール、ガイドラインは考えるための道筋、マニュアルは、そのグループ、その分野、その地域についての解説、と位置づけた。この区分もまだ定かなものではないし、とても難しい部分もある。
 基準とは、5W1H である。Whoo、誰が、どんな人が、どんな能力、どんな技術を持っていて、どんなトレーニングをしている人が参加するのかが、大きなポイントになる。どうしても技術認定を避けて通れない。認定をするというと、既存の指導団体とぶつかる。人とぶつかってプラスになることは何も無い。考えた。今でも考え続けている。見切り発車にちかい。
 認定ではなくて、確認証だという意見もある。自己責任宣言だという意見もある。これからみんなで考えて合意するものが正しいとするしかないだろう。ただ、そのカードを売る。つまりそのカードで利益をだして、会を運営するのでは、指導団体と同じになってしまう。会の活動と運営はあくまでも会員の会費と助成金、寄付金(法人会費)でまかなわなければならない。幸い、基準の確立という活動について、日本財団が助成金をだしてくれることになった。
 カードは発行しなければならない。それは、すでにある指導団体の認定と重ねて、自分たちのグループ、自分も含めて、自己責任で基準をまもれば安全が確保できると言う確認として発行されるものであるから、実費でなければいけない。送料を含めて1000円もらえれば、アルバイト代も含めてやれるのではないか。

 そして、実際の活動だが、さまざまな分野のダイバーが集まると、それだけで効果がある。これまで仲の悪かったひとがぶつかると言うマイナスもあるけれど、全体が気持ちよく仲良くしている雰囲気があれば、改善されるかもしれないと勝手に思い込むことにした。良い効果だけを考えると、東京湾岸のいくつかの環境保全グループがほとんど入ってくれるので、もともと情報交換は互いにしているのだが、その情報交換内容を会員に知らせることができる。また、実は、環境保全のダイビングは、いちばん危なっかしいようにも見える。初心者がインストラクターやガイドダイバーに引率されているダイビングよりも危ない。しかし、水深が浅いこと、真上に舟を置いていることで安全をなんとか保っている。これも基準を作らなければいけない。
 環境保全活動、調査活動の方法、安全管理についても研究会と基準が必要である。

 学生連盟の監督とコーチ制度の確立も、この何年か努力してきた。これも目の黒いうちにめどをつけなければ、いけない。
 やるべきことは、山積み、みんなには、一人で抱え込むなと言われている。抱え込んでいると抱えきれずにボロボロ落ちる。それを拾ってくれればと願っている。

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